医者が患者をだますとき


は じ め に 
治療は病気よりもひどい

医療への幻覚から目覚めよう


 ほとんどの人は先端医療とは素晴らしいもので、最新の医術を駆使する医者にかかれば、健康になれると思い込んでいる。だが、それは大変な思い違いである。現代医学にかかわる医者こそが、人々の健康を脅かしている最も危険な存在なのだ。
 現代医学の治療はめったに効果がでない。それどころか、現代医学の治療は、病気よりもはるかに危険である場合が多いし、まだ病気でない状況でも医者は危険な治療をおこなうため、人びとの健康はますますおびやかされる。
 現代医学を信じる医者、先端医療設備に頼る病院、無差別に医薬品開発を続ける製薬会社、化学合成法を駆使した医薬品、人手を省くため開発された医療機器など、現代医学を構成するこれらの9割がこの世からなくなれば、現代人の体調はたちどころに健康を取り戻しよくなるはずだ。

 現代医学は行きすぎている。本来なら重症患者にしかおこなうべきではない特殊な治療が、日常的におこなわれているのが実情だ。
 一日二十四時間、年がら年中、現代医学では農耕で過剰な診察をし、しかもそれを誇りにしている。
 「クリーブランドクリニックの画期的な医療」と題する最近の記事には、
世界有数とされるこの心臓病専門病院における過去一年間の「業績」が掲載されている。

     臨床検査の総数     1,300,000 回
     心電図検査            73,320 回
     CT検査              7,700 回
     エックス線検査        210,378 回
     開胸手術             2,980 例
     手術の総数           34,368 例

 どの処置をとっても、健康維持・増進に役立つとの裏づけがないものばかりだ。 この記事はクリーブランドクリニックの機関紙が掲載したものだが、高額な先進医療で救われた患者がいるかどうかについては、誇りにするどころか一言もふれていない。その理由は、医療現場では健康が生み出されていないからだ。


医療現場の置ける数々の危険


 医者に行くと、医者は患者が健康になるために来た人間ではなく、医療現場で使う多くの表品を押し付けるお客なのである。
 代表的な例を挙げてみよう。

 妊娠して医者に行くと、まるで病人のように扱われる。医者にとって、妊娠、出産は九ヶ月に及ぶ病気なのである。
 だから医者は、それを治療するために点滴、分娩監視装置、各種の薬物ばかりか、なんの必要もない会陰(えいん)切開まで押し付けるのだ。しかし、その程度では済まない。それが、医療現場のきわめつき商品、帝王切開が待ち構えているからだ。

 風邪をひいて医者に行くと、たいてい抗生物質が処方される。だが、抗生物質は風邪やインフルエンザには効かない。むしろ薬が原因で風邪をこじらせ、体調をさらに崩す恐れがある。

 落ち着きのない子どもが教師を煩わせるからといって、医者に連れて行くともっと厄介なことになる。薬の過剰投与で薬物依存症にされかねないのだ。

 新生児が母乳をまる一日飲まず、育児書どおり体重が増えなくても、医師の指示に従う必要はない。医者は母乳育児をやめさせるために、母親に乳汁分泌抑制剤を飲ませることがある。そして、母乳の出が悪い体質になった母親に対し、医師は赤ん坊をミルクで育てるように指示をする。しかし、人工栄養での育児は危険な育児方法なのである。

 真面目に健康診断を受けに行くと、受付で無愛想に扱われ、医者に近寄って緊張し、血圧がかなりあがることがある。結局、降圧剤を処方されて帰るはめになり、その薬がきっかけとなって性生活に終わりを告げる。インポテンツ(勃起不全)は心理的要因よりも薬物療法の副作用に起因していることのほうが多いからだ。

 不幸にも人生の終末を病院で迎えると、医者は「一日500ドルも入院費を払えば、最新医療機器が完備した病室でスタッフが最後の言葉を聞いてくれますから安心です」と言う。しかし、スタッフとは、家族に代わって高齢者の最後を看取るために雇われている賃金労働者である。患者は死に際になって赤の他人に言い残す言葉など思い浮かばない。もし最後の言葉があるとすれば、心電図モニターの発信音くらいなものだろう。もちろん家族も大切な役割を果たす。入院費の支払である。

 なるほど、子どもが医者を恐れるのも無理はない。子どもは見に迫る危険を純粋な本能でいち早く察知するのだ。恐怖心は簡単には消えないから、大人になっても医者を恐れる心理は残る。

 人は何か怖いことがあると、避ける、無視する、逃げる、たいしたことでないと思い込む。そして、誰かに心配してもらおうとする。
こうして医者が主導権を握る。患者が医者にそうさせてしまうのだ。
患者は医者の前でこんな意味のことを言う。
「先生、私の体どうなっているのですか?もう自分の健康管理が出来ません。全て先生にお任せします。先生がしなければならないことをしてください。」 そこで医者は「しなければならないこと」をするのである。


医療の九割は不要


 医者は自分が処方している薬の副作用を説明しないことを批判されると、「正直に説明すれば、医者と患者の関係が崩れてしまう」と自己弁護をする。 この言い逃れの根底にあるには、医者と患者の関係が知識ではなく信頼に基づいているという事実である。
患者が「私は医者が正しいことを知っています」とは言わず、「私は医者を信じています」という言い方をするのはその表れである。

 医者がそれに気付いていないなどと思ってはいけない。それどころか、医者はそのあたりを十分に計算している。なぜなら、もし患者の信頼を裏切ろうものなら、絶対に知られてはならない事実が明るみに出るからだ。それは、医療にうち少なくとも九割が不要なことであり、その不要な医療が患者に害を及ぼすということである。

 現代医学は患者の信頼がなければ存続しない。というのは、現代医学は医術でも化学でもなく「宗教」だからである。

 宗教とは、「人間の心に世界や日常生活の神秘的な現象に組織立って取り組むこと」と定義できる。
この定義によれば、「現代医学教」は生と死、それに肉体に生じるさまざまな生理現象という最も不可解で神秘的な現象を扱っていることになる。

 イギリスの人類学者ジェームズ・フレイザーは『金枝篇(きんしへん)』の中で、宗教を「自然のあり方と人間の生き方を方向づけて管理することができるとする『人知を超越した力』にすがろうとする営み」と定義した。

 この定義によれば、現代人は人間の生き方を方向づけて管理する力にすがろうとして、「現代医学教」に博大な医療費をお布施として献上していることになる。


まず、医者をよく知ること


 「現代医学教」の本質に迫るためには、医者に基本的な質問をすればいい。

  「なぜ、私はこの薬を飲まなければならないのですか?」
  「なぜ、私はこの手術を受けなければならないのですか?」
  「なぜ、私にはこの治療が必要なのですか?」

 こうした質問を医者に繰り返していると、遅かれ早かれ信仰に亀裂が入る。そこで医者は、自分が行う数々の「奇跡」を患者が理解できるはずはないという事実を盾にとり、「医者を信頼していればいい」と言って逃げる。

 まず、「それは何故か?」という質問を医者にしてみることだ。それこそが、現代医学の呪縛から抜け出すための第一の鉄則である。
 第二の鉄則は、その質問に対して「医者を信頼していればいい」という答えが返ってきたら、体調が許す限り、一刻も早くその医者から身を遠ざけることだ。

 しかし、不幸なことに医者から逃げられる人はごくわずかしかいない。大多数の人は屈服する。人々は、医者がかぶる呪術師の仮面とその奥に潜む未知なる雰囲気に恐れおののき、自分の体に起こっていることと、これから起こるであろうことに底知れぬ不安を抱かされ、畏敬の念をこめて医者に服従するのである。
だが、医者の意のままに操られてはいけない。現代医学から自由になることは可能であり、そのほうが身のためなのだ。準備もせず診察室へ行くほど危険なことはない。ただし、準備といっても、生命保険に入れというのではなく、医者と会って生きて帰ってくるために必要な知識と技術と駆け引きを身につけろということである。

 まず、医者をよく知ることである。現代医学が宗教だとわかれば、それが医術や化学だと思い込んで抵抗していたときよりもはるかにうまく身を守ることが出来る。

 現代医学教は人々の信仰に依存している度合いがきわめて高く、人々がたった一日でも信仰を忘れると、医療制度そのものが崩壊するのである。  次の三つの疑問について考えてみれば、それはすぐに理解できる。


1   普通なら疑いの目を向けられるはずの行為なのに、医療行為というだけで公然とまかりとおっているのはなぜか?
人々はしじゅつの手順について全く理解していないのに、人工的に眠らされ、自分の体を刃物で切り刻まれているのはなぜか?
人々は薬の成分である化学物質にどんな作用があるか全く知らないのに、国民全体で毎年膨大な薬を消費しているのはなぜか?


 その答えは、人々が現代医学教を信仰しているからである。

 現代医学は治療法の正当性を客観的に立証する必要に迫られない。そこで本書の中で根拠を示し、現代医学が信じるに値しないことを立証してゆく。


第1章 医者が患者を診察するとき  へGO 



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