医者が患者をだますとき


あとがき

 現代医学が抱える矛盾については、日本でも一部の専門家が批判しています。
 例えば、マスコミを通じて患者の側に立った活動をしている、近藤誠医師(慶應義塾大学医学部講師)は、「医原病」の中で、減量や喫煙などの生活改善を心がけて「なるべく医者や検査に近づかない生活を送ることができれば、人生が楽しく豊かになることは確実です」と提言し、その理由をこう説明しています。
 「『病気』と診断されたら、医者の勧めで治療に突入させられ、検査値の高低に一喜一憂する人生が待っています。
  そして薬の副作用で体調を崩される方も少なくない。検診や人間ドックは不要というより、害を撒き散らしています」

 また、在野の医学者として活躍した 故・松田道雄医師は「安楽に死にたい」の中で、「もうキュア(医者のやる治療)はたくさんだ、ケア(親しい人の心のこもった世話)だけにしてほしい」と訴え、さらにこう述べています。
 「医者でいて病院でなく、あえて自宅でなくなった方が身近に何人かいる。どの方も病院に長くつとめた熟達の医師である。
  (中略) 医者が病院を敬遠するのはそれほど不思議なことではない、いや良識からいって当然なことだと言う考えが、
  こちらが死に近くなるほどつよくなってきた」

 さらに、高雄医院の院長を努め、医療と仏教の連携の先駆けとなった 中村仁一医師は「幸せなご臨終」の中で
 「発達したと言われる今の医療であるが、かなり浅いところに限界がある」と主張し、こう指摘しています。
 「最近マスコミで遺伝子レベルで高度な技術が紹介されたりしているため、いかなる病気も専門の医者にかかりさえすれば、  治るものと思い込んでいる人が少なくない。医学の発達という言葉に幻惑されて、なんでも完治するかのような思い込みや   勘違いが、今は横行している」
 このことは現代医学の医者とマスコミのあおりたてが弊害となっているのだ。

 戦後、日本はアメリカを「医療先進国」と位置づけ、現代医学を無批判に輸入して来た。 したがって本書の内容の多くは、現在の日本においても示唆に富んでいると思う。

 近年「産科医と小児科医を増やせばいい」「終末期医療(延命治療)を充実させるべきだ」という主張が大勢を占めています。たしかに一理あるのですが、バランスをとるためには弊害も考慮する必要があります。

 民主社会ではその構成員が基本情報を共有してはじめて、その最大理念である平等が実現します。
 しかし、医療では肝心の情報がほとんど共有されていないのが現状です。

 本書が医療をめぐる議論に一石を投じることを願ってやみません。

 
日本に関連が深い事例の説明

 
 博士の告白の中の事例で、日本との関係性という面から説明します。

 まず、DESについてですが、日本では1940年代から70年代までエスチモン、エスロン、オイベスチンなどの商品名で処方薬として販売されていました。 当初は流産防止剤でしたが、のちに乳汁分泌抑制剤としても使われました。 欧米で薬害事件を起こしたのは70年代ですが、日本での発売時期を考えると現在でも影響が残っている可能性があります。 なお、現在では多くの国で使用禁止になっています。

 次に、未熟児網膜症についてですが、保育器の中で過度の酸素供給を受けると、発達中の網膜の血管が閉塞し失明する恐れのある病気です。 今でも日本各地で医療過誤訴訟が起こり、マスコミでよく取り上げられています。

 最後に、抗生物質テラマイシンについてですが、現在では飲み薬ではなく塗り薬として処方されています。 
適応性は皮膚感染症や外傷の二次感染、副作用は皮膚の過敏症です。 発売から半世紀以上にわたって人気のある薬で、広辞苑にも掲載されています。 

 ちなみに、博士は「副作用が現れる前に論文を書いた」と告白していますが、英語で医者を意味する「doctor(ドクター)」という単語を動詞として使うと「ごまかす、改ざんする」という意味になるのは興味深い現象です。
 



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