医者が患者をだますとき


第8章 予防医学という名の魔物

病院の倒産を予防する医学


 最近知人の医者からこんな手紙をもらった。
 「人びとに希望を与え、誰もが安心して暮らせる世の中を作るために、医者だからこそ出来ることは何だろうか?」
 私はこう返事をした。
 「医者を辞めることだね」

 治療医学のひどさはこれまで見てきたとおりだが、いわゆる予防医学なるものもそれに劣らずひどい。 現代医学が人びとの生き方を管理しようとするとき、予防医学は格好の口実に使われてきた。 実は予防医学こそ現代医学が生み出した巨大な魔物なのだ。

 政府を含め権力欲の強い組織が、問題を未然に防ぐという名目でやりたい放題のことをしていることは周知の事実だ。 医学界はもっとあざとい。 例えば、国防総省は国民を敵から守るという名目で、毎年莫大な防衛費を使っている。 その大半は無駄遣いだが、国防総省は防衛費の一部が有効に使われている証として「敵が周囲にいないのは多額の防衛費のおかげだ」と主張する。
 だが、医学界は同様の主張をすることはできない。 「病人が周囲にいないのは莫大な医療費のおかげだ」とは到底いえないからだ。 それどころか、医療費が高騰するにつれて、病人がますます増えているのが現状だ。

 アメリカは国民皆保険制度がない国だがこの制度を導入してもあまり期待はできない。 それどころか、もし導入すれば、最も危険な決定のひとつになる恐れがある。 たとえ無料で医療が受けられるようになったところで、病気や障害はますます増えると予想されるからだ。

 そもそも、すでに有り余っているものをこれ以上増やしてなんの役に立つかはなはだ疑問である。 現代医学は人びとが医療と健康管理を同一視するよう巧みに働きかけてきた。 だが、医療を健康管理と同一視すると、人びとの健康を蝕み、家族を崩壊させ、地域と世の中を破壊する恐れがある。


無意味な定期健康診断


 現代医学が病気の予防という名目で行っていることが無意味であるだけでなく危険ですらあることは、これまでに説明してきたとおりだ。 実際、定期健康診断は無意味で危険な検査の連続である。
 患者は医者の問診に対し配偶者や親友にさえ話したことがない病歴を、洗いざらい告白しなければならない。 次に、聴診器で体をくまなく調べられ、打診器で仰々しく膝を叩かれ「異常なし」と診断されて終わる。
 しかし、運が悪いと「要精検」と宣告されて専門医に当てた紹介状を渡され、さらに手の込んだ検査を受けるはめになる。


予防接種には要注意


 医学界と国が手を携えて推進する「予防措置」の大半は、無意味であるだけでなく危険であることを肝に銘じておくべきだ。 例えば、いくつかの予防接種については受けたほうが危険な場合が多い。
 かつてジフテリアはたいへん恐ろしい病気で、命を落とす人さえいたが、今ではほとんど発生していない。 にもかかわらず、予防接種はいまだに続いている。 ジフテリアがまれに大流行することもあるので、予防接種の効果すら疑問だ。
 以前、シカゴでジフテリアが大流行して16人の犠牲者が出たことがあった。 シカゴ公衆衛生局によると、そのとき、16人のうち4人がジフテリアの予防接種を受けおり、その4人には完全な免疫ができていたという。 また、その他の5人が数回にわたって予防接種を受けていて、検査の結果、そのうちの2人に免疫ができていたことが確認されていた。
 3人の死者を出した別のケースでは、死者の1人と23人の保菌者のうち14人が予防接種を受けていたこと報告されている。

 百日咳ワクチンの有効性については世界中で激しい議論が起きている。 摂取を受けた子どもたちの半数にしか有効性が認められないにも関らず、高熱、けいれん、ひきつけ、脳症などの副作用をひき起こす確率が恐ろしく高いからだ。 
 各地区の保健所は6歳以上の子どもに百日咳ワクチンの摂取を禁止している。(注:日本では6歳を超えても接種可能。ただし、なるべく早い時期の接種を勧めている) 百日咳は現在ではほとんど見られなくなっている病気なのだ。

 おたふくかぜワクチンの有効性も疑問である。 たしかにこのワクチンを接種すれば、流行性耳下腺炎(おたふくかぜ)の発生を抑えることは出来る。 だが、後になって免疫が消えれば元の木阿弥だ。 流行性耳下腺炎、はしか、風疹に対してはワクチンが開発されているが、これらの病気では天然痘、破傷風、ジフテリアのような重い症状は現れない。
 一般に信じられていることとは裏腹に、麻疹(はしか)にかかっても失明することはない。 まぶしがり症は、たんに光に対して感受性が強いだけだから、窓をブラインドで覆うという昔ながらの処置が効果的だ。
 麻疹ワクチンは、麻疹脳炎という発症率1000分の1といわれる伝染病を予防するためのものだ。 麻疹を何十年も治療したことのある医者なら、この伝染病が普通の子どもで一万分の一か十万分の一程度の発生率しかないことを知っているはずだ。
 さらに、このワクチンそのものが100万分の一の確率で脳症、それより高い確率で運動失調症、知能障害、注意血管障害、情緒不安定、無菌性髄膜炎、発作、半身不随などの致命的な神経性障害をひき起こすことがある。

 麻疹ワクチンも依然として議論の対象になっている。 接種すべき年齢について専門医のあいだで意見が一致していない。 このワクチンも害のほうが大きいかもしれない。 一時的とはいえ、数ヶ月に及ぶ関節炎をひき起こす恐れがあるからだ。
 麻疹ワクチンは子どもに接種されることが多い。 麻疹と診断された妊婦から肢体不自由児が産まれる確率は時期と研究によってばらつきがあるが、胎児の保護という観点から、妊婦への麻疹ワクチンの接種の有効性については論議を重ねる必要性がある。


集団接種は大規模なバクチ


 伝染病にかかるかどうかは予防接種の有無だけでは決まらない。 栄養状況、家庭環境、衛生状態も大きな要因になるからだ。 百日咳ワクチンが百日咳の減少と密接な因果関係があるかどうかは疑問がのこる。 第一、もしこのワクチンが再び導入されることになれば、FDAの基準に合格するかどうか甚だ疑問だ。

 ワクチンが原因で伝染病にかかることがある。 不活化ポリオワクチンの開発者であるジョナス・ソーク博士は、数人の科学者と共に議会で次のように証言している。
 「ここ数年、アメリカ国内で発生した数件のポリオ(急性灰白髄炎)の大半が、この国で標準的に使用されている
  生ポリオワクチンの副作用である可能性が高い」
 フィンランドとスウェーデンのようにほとんど不活化ワクチンだけを接種している国々では、この十年間、ポリオの発生は一件も報告されていない。
 ポリオ撲滅の功労者と称されるソーク博士自身が、数人の犠牲者を出した原因はこのワクチンにあると認めているのだ。 
ポリオワクチンの意義について、そろそろ考え直す時期に来ているのではないだろうか。

 現代医学の狂気は、毎年のインフルエンザ予防接種の露骨さにきわまる。 この予防接種について考えるとき、私はある結婚式のことを思い出す。 式場に新郎新婦の祖父母や高齢者がどこにも見当たらなかった。 不思議に思って、近くの人に尋ねると、親族の人たちは二、三日前に受けたインフルエンザの予防接種が原因で体調を崩し自宅療養中であるとの事だった。
 インフルエンザワクチンの集団接種は、ワクチン株とその年の流行株が一致するかどうかをかける大規模なルーレットのようなものだ。 いくら予防接種で免疫ができていても、ワクチンと同株のインフルエンザが流行するかどうかは予測がつかない。

 ブタインフルエンザの大流行は、予防接種の本当の恐ろしさを思い知らされる出来事だった。 政府とマスコミが徹底的に調査した結果、インフルエンザワクチンが原因で、ギランバレー症候群(感染後多発症神経炎)が565件も発生して、予防接種を受けてから数時間以内に30人の高齢者が「不可解」な死を遂げていたことが判明した。
 もし、世間がインフルエンザワクチンの集団接種キャンペーンに監視の目を光らせていたなら、こういう悲劇は回避できたのではないだろうか。

 国立アレルギー・感染症研究所のジョン・シール博士は次のように警告している。
 「すべてのインフルエンザワクチンがギャランバレー症候群をひき起こす危険性を秘めていると想定しなければならない」


医者が乳がんの原因を作っている


 医者の犠牲になりやすいのは子どもと高齢者だけではない。 女性も格好の餌食になっている。 乳がんの集団検診の有効性を示す根拠はどこにもない。 にもかかわらず、医学界が乳がんの予防を強調して世間に知らしめた結果、奇妙な理論がまかり通っている。 たとえば、こんな指導がそうだ。
 「乳がんやその他の女性特有のがんの危険性は、家系によってかなり大きくなる恐れがあります。
  予防措置として乳房の切除と卵巣の摘出が必要です」

 女性は自分と自分の家族の病歴を医者に話すとき、くれぐれも用心しなければならない。 「女性の命を守る」という名目で医者が何を切り取ろうとしているのかわかったものではないからだ。 それに対し男性は、そこまで用心する必要はなさそうだ。
いくらなんでも「男性の命を守る」という名目でペニスを切り取る医者はいるまい。

 これらの予防措置は無意味で有害であるだけではない。 医者が予防に本当に役立つ情報まで握りつぶしているから、被害はさらに拡大するのだ。

 乳がんには医学的に四つの原因があると私は考えている。 全ての女性はそれに留意すべきだ。 すでにそれを知っている女性の中で、医者から教わった人はごくわずかだと思われる。 

 乳がんを引き起こしやすい四つの原因とは、

   @ 出産経験がない。
   A 母乳栄養よりも人工栄養に偏った育児。
   B ピルの使用。
   C プレマリンなどの更年期障害治療薬の使用。

                                    である。

 予防接種を名目に女性に対して展開されているキャンペーンが、もうひとつある。 高齢出産がそうだ。
 「一定の年齢を超えた女性が子どもを産むのは危険です」という医学界の広報活動で、そう思い込んでいる人は大勢いる。
 私が医学生だったころ「女性は四十五歳を超えたら子どもを産むべきではない」と言われていた。 それが研修医のころには四十歳に、さらに数年後には三十八歳にまで引き下げられた。
 出産年齢の上限を引き下げる理由について、医者は「年齢と共に卵子が老化する」と説明する。 「老化卵子症候群」が奇形児の原因になるとでも言いたいのだろう。 では、「老化精子症候群」がないのはなぜなのか。

 母親の年齢と奇形児の出産に因果関係はない。 それどころか、ジョンズ・ポプキンス大学医学部の研究で、ダウン症児を産んだ母親は、正常な子どもを産んだ同年代の母親よりも、病院や歯科医院で浴びたエックス線の量が七倍も多いことが明らかになっている。 この報告は他の複数の研究によっても裏づけられている。 奇形児の本当の原因が母親の年齢と関係付けられるのは、母親が年齢を重ねるにつれて病院や歯科医院などで不必要なエックス線をそれだけ多く浴びてきたからだ。

 女性はまた、若すぎるという理由で出産を控えるよう指導されている。 最近、十代の妊娠は評判が悪いようだが、母親の年齢は出産の危険性とは関係ない。 十代の妊娠の評判が悪い理由は、貧困層の女性にありがちだからだ。 中流か上流階級の出身で、栄養状態がよく、健康をしっかり管理していれば、十代の女性は健康な赤ん坊を産む可能性が高い。
その確率は他の女性たちよりむしろ高いかもしれない。

 
医者は健康の蔓延をおそれる

 
 現代医学が編み出した予防医学はあまりにも危険なので、誤解を生むこの名称は廃止すべきだ。 人びとが病気にならないよう健康管理に努めるという考え方は、決して間違ってはいない。 だが、予防に関する現代医学の考え方は、それとはまったく違う。 現代医学が考える予防医学は、治療医学と同じかそれ以上に危険である。 現代医学の医者は予防医学という美名のもとに数々の過激な医療措置の実態を覆い隠している。

 そもそも、現代医学とは病気の研究であって、健康の研究ではない。 だから、ほとんどの医者は健康な人をどう表現したらいいかわからない。 せいぜい「正常」と診断するくらいだ。
 ただ、実際問題として、医者は患者にありとあらゆる検査をするから、いずれかの検査でひっかかり、すべて正常ということはめったにない。 患者が「正常」であるかぎり、医者は何の利益も得られないのだ。

 かつて、公衆衛生に関る医者は医学界で非常に低い評価しか与えられていなかった。 その仕事が衛生設備の普及など、健康的な生活の基本条件を整備することだったために、人びとを医者から遠避けることになっていたからだ。 ところが、ひとたび集団検診を奨励するようになると、医学界での評価が非常に高くなった。 患者の調整をする役目になったからだ。
 医者は人々が健康維持のために自力で何かが出来るとは本気で考えていない。 病気というのは、いつ襲ってくるか見当のつかない災厄であり、これを払いのけるには生活改善のような具体的な行動ではなく、現実の世界とかけ離れた象徴的な儀式が必要だ、と医者は信じている。

 現代医学は人間が病気になるという原罪を背負って産まれてきたと考える。 だから医者は、患者が病気でないことが証明されないかぎり病気だと想定する。 いくら患者が「自覚症状がないから健康です」と主張しても、罪を清めることはできない。
患者は検査を受け、予防接種をしてもらい、自分と自分の家族の病歴を告白しなければならない。 医者はそれに基づいて審判をくだす聖職者なのだ。
 もし医者が本当の意味での予防医学を実践しているのなら、患者はもっと健康になって病院に行く回数が減るはずである。 だが、現代医学が目指しているのは、それとは全く正反対だ。 医学界が主に関心を寄せるのは自らの権威だから、医者にかかる回数が減ることを含めて現代医学の権威を傷つけるようなことは絶対にあってはならないのだ。

 医学界は健康によってではなく、病気によって繁栄する。 人びとがいつどんな病気に襲われるかわからないという心理におびえればおびえるほど、現代医学の誘いと脅しに引っかかりやすくなり、医学界にとっては好都合なのだ。
 医者が治療に関して何をしても非難されないのは、被害者に責任を擦り付けるのがうまいからだ。
 「あなたが病気になったのは、もっと早く来なかったからです」という言い方を医者がよくするのは、その現れである。
 医者は患者が死なないかぎり、投薬や手術、はては終末期医療までありとあらゆる事をする。 ときには、予想していたよりも
早く患者が死んでしまうこともある。 それでも医者は自分が執り行った儀式のせいで患者が死んだとは絶対に認めず、難解な医学用語を駆使して立場を逆転させ、被害者に責任を擦り付ける。 そのときの決まり文句が「手遅れでした」である。

 現代医学を信じると、人々は自分の健康に自身がもてなくなる。 いつ病気が襲い掛かってくるかわからないと信じ込まされているからだ。 人びとは緊張や不安、罪悪感にたえず悩まされ、自分よりも強い力を持つ存在である医者に身をゆだねる。
医者は自分が処方した薬を患者がきちんと服用していないと腹を立てる。 どうやって患者を医者の指示にしたがわせるかは、現代医学にとっても頭の痛い問題なのだ。 
 現代医学が理想とするのは、患者をモニターで監視して、薬を飲まないとブザーが鳴るとか、電気ショックを与えて無理やり飲ませるやり方である。 しかし、こんなシステムはさすがに認められない。 だから、患者を問いただすと言う従来のやり方で羊の群れを管理しなければならない。

 
いま望まれる医学

 
 高齢者の対する差別は、呪いをかけることから始まる。 年齢と共に才能や能力が衰え、社会の一員として役に立たなくなると思い込ませるのだ。 医者に呪いの言葉をかけられた高齢者は、家族から隔離され、老人ホームに監禁される。
 もちろん現代医学の究極の目標は、全ての人々を監禁することである。 医者はあらゆる機会を利用して、人々に無意味な儀式を受けさせようとする危険な傾向がある。 新しい医療処置が次々に法制化されてゆくのは、医者が個人に対してさらに強大な権力を行使したいからだ。 たとえば、誰かが自宅で出産し、母乳で育てようとすると、医者が抵抗するのは、そういうわけである。

 医学界は「予防医学」という言葉を使って世間を巧妙にだました。 予防医学と他の医学を区別することによって、予防医学が病気を未然に防げるかのような錯覚を人びとに抱かせることに成功したのだ。
 現代医学が推進している医学を「予防医学」と呼ぶなら、そう呼ばせておけばいい。 私たちが実践する自主的な健康管理は、予防医学と呼ばないようにすればいいのだ。 現代医学が「母乳栄養は子どもの依存心を高めることになる」と主張するのなら、母乳で育てて子どもの依存心を高めることに努めよう。 純粋な食べ物にこだわることで変人と呼ばれるなら、自ら変人を名乗ろう。
 現代医学は正統でない医者に「藪医者」の烙印を押す。 それなら今、最も必要とされるのは多くのやぶ医者である。 
大切なのは言葉ではなく行動だ。 それも、現代医学教を打破する行動である。

 アメリカには、がんや心臓病のような重い病気の予防を目指している優秀な研究者が何百人といる。 だが、その研究方法が現代医学から見て正統でないために、医学界から追放されないように細々と研究しているのが実情だ。

 ノーベル化学賞と平和賞を受賞したライナス・ポーリング博士が、その典型的な例だ。 ビタミンCががん患者に有効であることを研究によって解明したが、それを確認するために国立がん研究所に資金以来をしに行ったところ、門前払いを食らったのだ。

 私の知り合いの数人の医者は「自分や自分の家族ががんになれば、現代医学で認可されていないがん治療に頼るつもりだ」と言っている。 医者自身が信頼していない治療法で、どうやって人びとの健康を保証できるのだろうか。

 人びとは現代医学と手を切ったほうがいい。 そのためには、現代医学の呪縛から自らを解放する決意、健康と病気に対する社会全体の取り組み方を新たに模索する知恵、勇気、戦略を持つネットワークの構築が必要になる。

 いま、切に望まれるのは何か。 それは現代医学とは違う視点に立つ新しい医学である。


第7章 医者のあきれた実態 へ戻る 第9章 新しい医学 へ進む 


医者が患者を騙すとき目次に戻る

inserted by FC2 system