医者が患者をだますとき


第1章 医者が患者を診察するとき

健康診断は儀式である


 病気の自覚症状がなければ、わざわざ健康診断を受けることはない。たとえ自覚症状があったとしても、健康診断を受けるのはあまりお勧めできることではない。 その理由は、患者が診察室に入った瞬間から処方箋や専門医への紹介状をもらって診察室をあとにするまで、その一連の流れがめったに効果のない儀式にすぎないからだ。

 「医者に身を任せて言われるとおりにしていれば、きっとご利益が得られる」
 「検査を受ければ受けるほど、しかも精密であればあるほど、健康維持・増進に役立つ」
  大多数の人はそう信じ込んでいる。
 だが、それはとんでもない誤解である。 医者の診察や検査に対しては、信頼を寄せるのではなくむしろ疑ってかかるべきなのだ。 診察や検査には何らかの危険が伴い、一見なんでもないような診察や検査であっても、健康に何らかの害がある。 世の人々はそのことを肝に銘じるべきである。

 まず、診察に使われる道具が危険である。 たとえば聴診器がそうだ。医者が聖職者らしく振る舞うための小道具にしかほかならない代物だが、人の肌にじかに触れる聴診器によって、感染症にかかることもある。
 重病であれば、聴診器を使わなくても肉眼で診察できる。 先天的に心臓を病む新生児の場合、肌が青みがかかっているのでひと目でわかるし、それ以外の心臓病の診察では数箇所で脈をとればいい。
 たとえば大動脈縮窄症(だいどうみゃくしゅくさくしょう)という病気なら、足の付け根にある大腿動脈の脈拍数が減少しているので、聴診器を使わなくても触診で十分だ。
 聴診器で聴けるものは、患者の胸に耳を当てても聴こえる。 医者が聴診器を使うのは、医者にとって便利で上品に見えるという、ただそれだけの理由である。 だから、集音部を患者の胸に当てるだけで、挿耳部(イヤホン)を耳に入れず首に巻いたままの医者さえいる。

 聴診器による診察は、結果として患者に害を及ぼすことがある。 特に危険なのは、母親が子どもを定期健康診断につれてきたときだ。 子どもの場合、聴診器によって心雑音が確認されることがよくある。 心臓の拍動に雑音が混じる現象で、子どもでは三人に一人の割合で見られる。 そこで、医者は母親に子どもの心雑音について告知する。 その際、「なんでもない現象ですから心配ありません」と言って親を安心させようとしても無駄である。 母親も子どもも、「これは大変なことになった」と気が動転してしまうからだ。
 このときの衝撃と不安は、この親子に一生ついてまわるおそれがある。 母親は子どもの病気究明に小児心臓外科に通い、心電図検査と胸部エックス線を繰り返し受けさせ、はては心臓カテーテル検査まで依頼する。

 複数の研究によると、子どもの心雑音を指摘された家庭では、子どもの日ごろの運動を制限してスポーツを禁止させ、栄養状態に気をつけて以前よりも多く食べさせるようになるという。 しかし皮肉なことに、この生活習慣が最悪の事態をもたらすことになる。
  運動不足と食べすぎで子どもは肥満し、本当に心臓に異常を抱えてしまうのだ。


いいかげんな医療機器


 心電図を記録する心電計は、聴診器よりもはるかに高級で、いかにも先進医療という印象を与える装置である。
 しかし、実際は「電気仕掛けの高価なおもちゃ」と呼ぶのがせいぜいのしろものだ。
 ある調査によると、同じ検査結果でも医者のよって診断が20%も食い違い、しかも同一の検査結果をふたたび診断させると、誤差はさらに20%も拡大したという。

 心電図検査は、そのときの活動状況や時間帯といった心臓以外の多くの要因に左右される。
心筋梗塞の患者の心電図検査に関する研究では、心臓に異常を認める正確な診断が得られたのは、わずか25%だった。
全体の50%は正常か異常かはっきりせず、残りの25%は「異常なし」という誤った結果がでたという。
また、健常者の心電図検査の大半を「重症」と誤診したという報告すらある。 これほどの誤診結果が出ている心電図検査を医者が依存しないかというと、現実は逆で、ますます依存度合いを高めている。

 わたしはこんな想像をする。 心筋梗塞を起こして患者がCCU(冠動脈疾患集中治療室)で横になって安静にしている。
そこに注射器を持った看護師が近づいてくる。 それを見た患者は動転する。 看護師は「心電図が異常を示していますので、応急処置をします」と言う。
 看護師は心電図検査に大きな誤差が生じることや、心電計の漏電によって心電図が異常を示しやすいと指摘する研究が、
いくつも発表されていることを知らない。
 患者は必死になって訴える。
 「お願いだ。私は正常だ。脈をとってみればわかる」
 しかし、看護師はこう反論する。
 「脈をとっても意味はありません。心電図のほうが絶対に正確です」
 看護師はそう言い放つと、患者の腕に不要な注射をする。

 これは決して空想ではない。 現実に起こりうることなのだ。 CCUに設置されている心電計は電気ショックが必要だと判断すると、患者の鼓動を自動的に修正する仕組みになっている。 だが、その必要がなかった例はいくらでもある。

 脳波検査は、ある種のてんかんと痙攣の診断、脳腫瘍の診断に効果が認められている。
だが、この脳波検査にも限界があることを知っている人は少ない。
 こんな報告がある。
てんかんと診断された患者の約20%が脳はずに異常を示さず、感情者の15〜20%の脳はずに異常を示したというのだ。

 脳の活動状況を測定する手段として脳波検査が信頼できるかどうかを調べるために、研究者がマネキンの頭部にゼリーを詰めて脳波計に接続してみた。 すると、「生きている」という結果が出た。

 誤差が生じることが明らかであるにもかかわらず、脳波検査は子どもに起こるさまざまな障害を調べる主要な臨床検査のひとつになっている。 学習障害、軽度の脳損傷、注意欠陥多動障害(注意散漫・衝動行為・多動など)といったあいまいな定義しかされていない20〜30種類の症状の診断について使われているのだ。

 最近では、医者だけでなく教育者と親も、子どもの問題行動を医学的な問題として扱う傾向がある。
 たいていの場合、それはこんなパターンをたどる。

 まず、子どもは教師から面談の通知をもらって親に見せる。  面談に向かった親は教師から「お子さんは注意欠陥多動障害かもしれません」といわれる。 それを聞いた親は子どもを医者につれて行き、脳波検査を受けさせる。 医者は正確かどうかに関係なく脳波検査に基づいて診断を下し、教師にとって最も管理しやすい鋳型にはめ込むために、子どもを薬漬けにする。


エックス線による被爆の儀式


 医者が扱うさまざまな医療機器の中で最も普及し、危険度においてこれに勝るものはないのが、エックス線撮影装置である。
だが、この装置は現代医学教にとって大変重要で、これを手放すことは医者にとって最もつらい別れとなるだろう。
 何しろ自分では見られない体の中を透視できるのだ。 そんな装置を駆使する医者に対して患者が畏怖の念を抱くのも無理はない。 医者は患者のこの心理を見抜いている。 それに陶酔した医者は、ニキビが発生するからくりから胎児の成長の神秘まで、ありとあらゆる検査にエックス線撮影装置を使う。

 小児白血病が胎児のときの医療被曝と密接な関係があることはすでに証明されているが、医者はそれをあっさりと無視する。
2〜30年前に頭部、首、胸の上部に放射線を浴びた人たちのあいだに甲状腺機能低下症が何千、何万という単位で発生しているし、甲状腺がんは歯科で浴びる10回のエックス線検査による線量を下回る被爆でも発生することがある。

 すでに、複数の科学者が連邦議会でこう証言している。
 「たとえ線量の少ない放射線でも、人体に照射すると遺伝子を損傷し、現代の世代だけでなくそれ以降の数世代にわたって深刻な影響を及ぼす恐れがある。エックス線は糖尿病、心臓病、脳卒中、高血圧、白内障といった加齢に伴う病気をひき起こす可能性がある」

 がん、血液の異常、中枢神経系の腫瘍の原因が放射線にあると指摘する研究もある。 病院、診療所、歯科で受けた医療被曝に直接的な原因があると推測される死者は、控えめに見積もっても毎年4000人以上にのぼるとされている。
 こうした死亡と病気による苦痛は避けることができたはずだ。 私は医学生のころ、胸部エックス線検査は無意味だと教わった。 比較的最近の調査でも、それは同じである。 マンモグラフィー(乳房エックス線撮影法)に基づく乳がんの診断は、専門医として訓練を受けた医者でも、それ以外の医者と同じくらい不正確なのだ。

 放射科医による重症患者の胸部エックス線写真の診断について、ある調査がこんな報告をしている。 医者の24%が他の医者と食い違い、同一の写真をふたたび診断すると31%が自分の前の診断と異なる診断をしたというのだ。
 別の研究では、肺に明らかな異常を示す胸部エックス線写真を正常と誤診した医者が32%いたことが判明した。
専門医の30%の診断が一致せず、20%が一度目と二度目で診断が食い違っていたと報告する研究もある。 ハーバード大学の研究では、放射線科医によって診断が一致しない割合は、20%以上であると報告されている。

 エックス線検査はその危険性と不正確さがいくら指摘されても、多くの医者と歯医者の診察室で神聖な検査としてあがめられている。 毎年数十万の女性がマンモグラフィーを受けるのに順番待ちをしているのは、皮肉としか言いようがない。
 マンモグラフィーが乳がんを発見するよりも引き起こしているという科学的な証拠は、活字となっていくらでも報告されているからだ。

 エックス線検査による「被爆の儀式」は、年中行事として行われている。 定期健康診断や就職・入学の際の健康診断がそうだ。 多くの人の話や手紙から、私はこんな事実を知った。  「あなたはいたって健康です」と言っておきながら「念のためエックス線検査をしておきましょう」という医者が大勢いるということだ。

 あるひとはヘルニアの手術を受けに病院に行ったところ、胸部エックス線写真を六枚も撮られてという。 この人は医師同士の会話から、自分を実験台にして線量を試していたと断定している。 また、この人が金属冠の交換のために歯医者にいくと、エックス線写真を30枚も撮られたという。 医者は「患者が要求するからやむをえない」という理由で放射線の照射を正当化する。 
だが、患者がそれほどエックス線撮影を望むなら、見かけも音も本物そっくりな装置を用意して撮影するふりをすればいい。それが医者としての誠意であり、結果かなりの病気を防ぐことができる。


臨床検査の不安と数値に振り回される医者


 臨床検査は患者の利益になるより、不利益になるほうが多い。 
 以前、疾病対策センター(CDC)が、全国の検査室で発生したミスの調査結果を発表した。
 それによると、臨床検査で検査ミスの発生割合は全体の四分の一以上あった。
 内訳は次の通りです。

     細菌検査     10〜40%
     臨床生理検査  30〜50%
     血液型検査    12〜18%
     血液検査(ヘモグロビン・血清電解質)
                20〜30%

 毎年、検査費用として莫大な予算が割り振られているが、それで得たものとは何だったのだろうか。
 その予算の「投資効果」を紹介しよう。

 多くの検査室を調査した結果、CDCは次の事実を突き止めた。 鎌状(かまじょう)赤血球性貧血を確認できない割合が31%、白血球増加症を誤診する割合が33%、正常な検体を白血病と誤診する割合が10〜20%、異常と確実に誤診される割合が5〜12%だった。
 また、200人の患者のうち197人(ほぼ99%)が臨床検査を繰り返しただけで「異常が完治した」という報告があり、私はそれを傑作だと思っている。
 ショックを受けるのはまだ早い。 CDCはこの時点で全米の検査室の一割以下しか監視していなかったのだ。 したがって、
ここに挙げた数字は、最高水準の検査室での最高水準の研究の実態ということになる。 その他の九割については、患者がお金を払い、体を張って確かめなければならない。 しかも、患者が危険を犯して負担する医療費は今後もまだまだふえていく。
なぜなら、医者は「念のため詳しく診ておきますから検査を受けてください」と患者にしつこく指示を出すからだ。

 このように検査結果は不正確極まりないものである。もし、奇跡的に正確な結果を出したとしても、医者がそれを誤診する危険性が残っている。
 かりに、医者が数値と統計にとらわれないなら、臨床検査や医療機器はさほど危険ではない。
だが、数値と統計は現代医学では神聖であり、診断の絶対的な基準となる。 体重計、体温計、目盛り付き哺乳瓶といった簡単な器具であれ、エックス線撮影装置、心電計、脳波計といった高度な医療機器であれ、それらの機器に患者だけでなく医者も惑わされている。 医者は診断の専門家であるはずだが、数値と統計に気を取られるあまり直観力が失われ、質的な判断を軽視してしまっている。

 体重計は小児科や産科ではさまざまなトラブルをひき起こす。 赤ん坊の体重を測って体重が順調に増えていないと、小児科医は大げさな態度をとる。 体重という数値のこだわるあまり、質的な判断が出来ていないからだ。 肝心なのは、赤ん坊の様子はどうか、行動面ではどうか、目はこちらを向いているか、体の動きはどうか、神経系は正常に機能しているか、といったことである。
 ところがこうした観察は軽視され、医者は数値に振り回されている。 母乳で育てられている赤ん坊に場合、医者が理想的だと信じ込んでいるほどには体重が増えないことがよくある。 そんなとき、医者はミルクを足すよう母親に指示するが、これは母親にも赤ん坊にも害をおよぼす。

 妊婦は体重計を気にする必要はない。 どの妊婦にとっても、適切な体重増加の基準というのは存在しないからだ。 この場合も肝心なのは数値ではなく質的な判断である。 妊婦は質のいい食べ物を食べていればよく、適切な分量にこだわる必要はない。 適切な食生活を心がければ、量は自然に調整できるからだ。 妊婦はこの点にさえ注意していれば、体重計は無視してもいい。

 目盛り付き哺乳瓶も問題だ。 医者が一定量ミルクを飲ませるよう指示するので、母親は赤ん坊に無理やり飲ませようとする。
だが、いくら母親がなだめすかしたりして飲ませたところで、赤ん坊はたいてい大半を吐いてしまうだけである。 その結果、母と子の関係がぎくしゃくし、本来なら愛情と喜びを分かち合う食事の時間に、過度の不安と緊張が生じる。 また、ミルクで育てられた赤ん坊は肥満になりやすいという事実も指摘しておく。

 体温を測ることもあまり役に立たない。 母親が子どもの病気で病院に電話をかけると、医者は必ず体温をたずねるが、この質問は無意味である。 高熱を伴っても無害な症状もあるからだ。 たとえば小児バラ疹(突発性発疹)は乳児によく見られる紅色の発疹で害はないが、40度近くの高熱を出すことがよくある。 逆に、高熱を伴わない危険な病気もある。 結核性髄膜炎は命のかかわる病気だが、たいてい平熱のままである。

 医者がすべきことは、子どもの気分や普段の行動との違いという有意義な問いかけである。
 いずれにせよ、数値に対するこだわりを捨てれば、母親は医者とともに子どもの病気に向き合うかとが出来る。

 
ノルマ達成の検査と健康診断の本当の目的

 
 どの健康診断にも言えることだが、患者はマテリアル(材料)として様々な目的に利用される恐れがある。 数年前、私が外来病棟の所長に就任したときのことだが、そこの医者たちが母親に「お子さんにトイレトレーニングをしていますか?」と問診していることに気づいた。
 四歳までにトイレトレーニングを受けていない男の子たちをふるいにかけ、泌尿器の一連の検査を膀胱鏡検査法まで含めて行っていたのだ。 膀胱鏡検査法は中高年の膀胱がん、前立腺がん、子宮ガンなどの検査で用いられてる検査で、膀胱鏡という内視鏡の一種を尿道から膀胱内に挿入し、膀胱内部の病変を調べる。 この過酷な検査をまだ四歳の子どもに行っていたのだ。 それに気づいた私は、この質問をすぐにやめさせた。
 しばらくして泌尿器科の部長から電話がかかってきた。 彼は私の友人だったが、かなり怒っていて、開口一番、こう言った。
 「君があの質問をやめさせて泌尿器の検査を廃止したことは間違っている。この検査でなければ、器質性の異常を伴うまれな  症状は見つけられない」
 それに対し、私はこう反論した
 「そんなことはあるまい。どんなにまれな症例でも、膀胱鏡検査よりもっと安全な方法で確認できるはずだ」
 そこで、彼は本音を語った。
 「実は、君が阿野質問をやめさせて事で、私の教育計画が台無しになりそうなのだ。研修医が専門医の資格を認定されるには、毎年一定数の膀胱鏡検査をこなさなくてはならない。現時点でのノルマは年に150回だ。あの検査をやめさせられたために、研修医はノルマを達成できずに困っている」

 ノルマ達成のための検査の実状は、どの専門医でも同じである。 たとえば伸増額の専門医の場合、専門医と認定されるまでに心臓カテーテル検査を年最低150回から200回、ときには500回も行わなければならない。 一人の研修医が専門医になるために1年間にこれだけの回数をこなすには、街頭で行きかう人々に声をかけ「あなたは心臓カテーテル検査を受ける必要があります」と説いてまわらなければなるまい。

 健康診断の最も危険な隠された目的は、患者を確保することである。 もし健康診断を廃止したら、患者が確保できず間借りしている内科医はテナント料も払えなくなり、医者の生活基盤にも影響する。 また、大学病院などでは研修医を教育できず専門医を育てることが出来なくなる。
 医者が安定的に患者を確保する方法は、健康診断をおいてほかにはない。

 現代医学教では、これをさらに細分化して推し進める。 細分化すれば、わずかな変化でも病気や病気の予備軍として様々な検査診療対象が出来る。
 「全員を呼び集め、多く患者を作り出す」
医学界が積極的に勧めることは、確実な患者確保の方法なのである。
 かって定期健康診断の対象は工場労働者や売春婦といった体を壊しやすい人たちに限定されていたが、いまでは全国民が年に1回は、健康診断を受けるように奨励されている。

 1930年代からの半世紀以上にわたる健康診断の歴史を振り返ると、積極的に受診した人たちが健康だったことを示す証拠はどこにもない。
 健康診断に伴う危険性を考えたとき、健康診断を避けてきた人のほうが健康であったのではないかと思う。

 
お任せ医療の危険性(医者は過激な治療を好む)


 患者は医者に任せすぎである。 健康診断に行くのも、自分の体調を医者に教えてもらいたいからだ。 これは自己決定権という大切な権利を自ら放棄しているのである。 医者が病気といえば病気、健康といえば健康。 こんな調子で医者が患者の健康状態を決めているのが実情である。 そして、基準となる数値は医者が勝手に決めた基準であるにもかかわらず、患者はやすやすと身をゆだねる。 だが、健康かどうかを決める医者の診断を信用してはいけない。
 そもそも、ほとんどの医者は健康とは何かを理解していない。 医者が受けてきた教育は健康法ではなく、病気に関することなのだ。 医者は健康の兆候より病気の兆候を探す鋭い目を持っているから、医者は患者を健康と診断するより病気と診断しがちである。
 医者が主導権を握っている限り、健康と病気の境界をどう定義するかは医者の思惑と利益に左右される。

 たとえば高血圧症の診断の場合、正常値ではあるが比較的高い範囲にあるものを「境界型高血圧症」と定義すればいい。 こうすれば高血圧症を広く定義でき、かなり強い薬を処方することが正当化できる。 このように数値を操作すれば、病人の数を増減できるのだ。
 身長測定も、低いほうと高いほうのそれぞれ2%〜5%を「高身長」「低身長」と定義すれば、それぞれに該当した子どもには、「異常・要検診」と診断できるのだ。
 尿、血液、心電図の検査も同様で、正常値の範囲を人為的に設定して診断をくだせば、確実に何%の人たちに「異常のおそれあり、要精検」と診断できる。
 下剤の売上を伸ばしたければ、便秘を「1日1回の排便がない状態」と定義すればいい。 そうすれば国民の大半を便秘か便秘気味と診断できる。 それに対し、もし正直に排便を「週に1回でも2回でもいい」と定義すれば、病気の該当者はほとんどいなくなってしまう。

 異常が認められなくても、医者は病気を作り出す。 100人の患者を検査して身長・体重・血圧・尿・心電図を測定すれば、
統計上誰かが数値の両端に該当する。 30種類から40種類もの検査をすれば、大半の患者が何らかの検査で異常と診断され、害を及ぼしかねない一連の医療行為へといざなわれる。

 患者は医者の私利私欲に警戒を怠ってはならない。 医者は治療しないことによってではなく、治療することによって報酬と名声を得ているのだ。 医者は患者の経過を観察し、放っておいて自然に治るのを待つのではなく、人体の様々な生理現象に介入してなんらかの治療を行うように教育されている。

 私は医学生に対し、医学界を生き抜く要領として、こんな指導をしている。
 「試験に通って」単位を取得し、医師免許試験に合格し、様々な難関を突破するためには、選択肢の中で最も濃厚で過激と
  思われるものを正解と考えなさい。たとえば、鼻にニキビができた患者の処置について出題されたら『しばらく様子を見る』と  いう妥当な選択肢を選ぶと減点されるので消去すること。それに対し『患者に人工心肺装置を接続し、切断した動脈をもとど  おりに結びつけ、20種類の抗生物質とステロイド剤を投与する』という過激な選択肢があれば、迷わずそれを選びなさい」
 私の教え子の多くが医師免許試験や専門医認定試験などの関門を突破したのは、この指導によるところが大きい。

  
薬の副作用は効能よりもひどい


 健康診断を受ければ、医者はどんな些細な異常でもたちまち見つけ出す。 その異常が病気によるものかどうかは関係ない。
患者は病気の予備軍と診断され、予防処置として早期治療を心がけるように指示される。
 血糖値がほんの少しでも変動していれば、「糖尿病の前ぶれ症状」という疑いをかけられて「糖尿病予備軍」と診断され、糖尿病治療薬をもらって帰る羽目になる。
 上空をジェット機が飛んだことが原因で心電図が乱れても、「心臓病の前ぶれ症状」との疑いをかけられて「狭心症予備軍」と診断されることすらある。 その結果、帰宅して狭心症治療薬を飲んでいると、薬の副作用があらわれて心身に異常をきたす。 目のかすみ、錯乱、動揺、幻覚、麻痺だけでなく、てんかんの発作や重度の精神障害をおこすおそれすらある。
 コレステロール値が高いと診断されると、コレステロール低下薬が処方される。 たしかにこの薬にはコレステロール値を低下させる作用があるが、同時に様々な副作用が現れる。
 疲労、虚弱、頭痛、めまい、筋肉痛、脱毛、眠気、目のかすみ、震え、発汗、インポテンツ、貧血、性欲減退、消化性潰瘍、リウマチ性関節炎、紅斑性狼瘡(こうはんせいろうそう)
 いずれも添付書に記載されている副作用だが、医者はこれだけ多くの副作用をいちいち教えてはくれない。 特に教えてくれないのは添付書の中の黒枠で囲われている部分だ。 紹介しよう。

 
この薬の服用によるコレステロール値の低下が、
冠動脈の狭窄による心臓病の死亡率にどんな影響を与えるのか、
またはなんの影響も与えないのかについてはまだ判明していません。
科学的研究でこの答えが出るまでに数年かかります

こんな説明を聞いた後で、いったい誰がこの薬を飲むのだろうか。

 「前ぶれ症状」の疑いで治療にかかるパターンの典型が、血圧が少し高い人の場合である。 血圧があがったのは、診察室で白衣の医者を前にして緊張したためかもしれない。 いわゆる「白衣高血圧」だが、医者はそんな事実をあっさり無視して、必ず降圧剤を処方する。
 降圧剤を飲んでも安らぎを得ることはほとんどない。 それどころか、頭痛、眠気、倦怠感、吐き気、インポテンツなど、さまざまな副作用に悩まされる恐れがある。

 冠動脈疾患薬物調査グループは次のような報告をしている。
 「降圧剤は、命にかかわらない程度の梗塞、肺塞栓症を含め数々の副作用をひき起こし、
 しかもそれらの副作用のほうが死亡率の低下という効能よりもひどい」

 
不況対策として始まった健康診断


 医者が健康診断を宣伝するようになったのは、1930年代の世界大恐慌の頃である。理由はいうまでもなく不況対策だ。
 歯科医も同じ理由で定期健診の重要性を説いて回り、人々を治療室に呼び込んだ。 特に子どもを呼び込むことに対して積極的である。
「子どもは三歳になれば歯医者、七歳になれば歯列矯正医のもとで定期健診を受ける必要があります」と親たちに説明する。
この定期健診で利益を得る子どもはあまり多くないが、被害を受ける子どもは多い。 歯科の特徴であるエックス線撮影、水銀中毒、フッ素塗布だけでなく、治療そのものが害を及ぼす。診査器具であるエキスプローラーは、口内の細菌を虫歯から健康な歯へ拡散させることがある。

 歯列矯正の技術は、効果がまだ証明されていない。 幼少の頃に歯列矯正を受けたために歯茎の具合が悪くなったという人は大勢いるのに対して、歯列矯正を勧められて受けなかった人の歯がまっすぐに生えそろった例はたくさんある。
 要するに、歯医者が呼びかけている定期健診で患者の利益になることはほとんどなく、利益を得るのは歯医者だけだということだ。
 私が知るかぎりでは、医者、とくに歯医者は定期健診にことのほか熱心だ。 過去半年間検診を受けていないと救急患者として診察しない歯医者すらいる。 医者と歯医者がこういう態度をとるのは、被害者に責任をなすりつけるという医療の切り札を使う権利を得るためだ。 そうすれば自分たちの儀式に何の有効性もないことを認める必要がなく、「治療に来るのが遅い」と患者を攻めることができるのである。

 どの医者も早期治療の重要性を力説する。 そして、ほとんどの人がそれを信じている。  だが、このことは肝に銘じておく必要がある。 患者が病院に来るということは、医者にしてみれば「何らかの治療を求めてる」ということなのだ。 患者が診察室に来ること自体、「治療してください」という意思表示になり、鎮痛剤の投与から手術まで儀式的な治療を希望しているとみなされる。
 医者はより濃厚で過剰な治療法を選ぶ傾向にある。 極端には、患者の病状など目に入らず、不要な治療を押し付ける医者もいるほどだ。 一部の医者は「放っておけば自然に治る病気でも、患者が治療を要求する」と言って患者の責任にし、「患者が薬をほしがる」という言い訳をする。
 たとえば、風邪を撃退するために抗生物質を、関節の軽い痛みを和らげるために劇薬の消炎鎮痛剤を、ニキビや吹き出物を治すためにはホルモン剤を要求するというのだ。 しかし、医者のこんな言い訳は認めるわけにはいかない。 患者が本当に求めているのは、思いやりのあるケアとなるべく自然に治す方法であり、薬に頼らない治療の情報提供である。 だが、医者はそんな患者の希望と要求は受け付けない。

 医者と患者の思いにズレがあるのは治療に対する基準の違いであり、患者は医者に任せるため医者の基準で治療が行われるということなのだ。 しかし、医者の基準は常に正しいとは限らない。 医者も職業として生計を立てるには、患者を利用し多くの収入を得なくてはならないのだ。 そのためには正しい指導を患者に与えることは、医者が収入を得られず生活できないことになるのだ。

 医者の診療に潜むさまざまな危険から身を守るために、人びとが学んでおくべき心がけと対策はそれ以外にもたくさんあるが、知識として身につけてほしい。 もちろん事故や怪我、急性盲腸炎などの緊急事態なら話は別だが、このような事態は医療全体のわずか5%程度だ。
 自覚症状がなければ、医者にかかる必要はない。 もし、自覚症状があったり実際に病気だったりするなら、その病気について医者よりも多くの知識を身につけるべきである。 このことは、自分の命を守るためであり、医者と対等に話が出来ることなのだ。
 病気について勉強することは、それほど難しくない。 まず、医者が使った本を入手すればいい。 おそらく医者は内容をほとんど忘れている。 次に自分の病気について書かれている一般向けの本を読むといい。 要は、情報面で医者と対等かそれ以上の立場で話し合えるよう、自分の病気について十分な知識を持つことが大切なのだ。

 検査の指示を受けたときは検査内容を調べ、その検査で何がわかるかを知り、検査の意義を医者に問いただすといい。
医者は口を閉ざすだろうが、血液検査、尿検査、結核検査、胸部エックス線検査のような簡単な検査でも、その意義については議論が分かれているから、データーをもとに診断するには無理がある。 よく調べれば、検査がほとんど無意味であることがわかるはずだ。

 自分の身をまもつためには、とにかく医者に質問することだ。 しかし、答えてくれることもあるが、たいていの場合医者は怒り出すだろう。 だから、診察室から追い出されない程度に質問は控えたほうがいいが、医者がどう対応するかで人間性が見えてくるし、どの程度の専門知識をもっているかもわかる。

 医者に質問するのは、医療被曝から身を守るときも役立つ。 最高の防御は全く放射線を浴びないことだが、とくに女性は胸部エックス線検査について次のことを知っておいてほしい。 五十歳未満の女性、胸部に症状が現れていない女性、乳がんの家族歴がない女性に対する胸部エックス線検査には意義が認められない。 そもそも、この検査は女性に対して有効かどうかが疑わしい。 女性の体の中でもとくに乳房はエックス線に対し敏感に反応する部位のひとつだからだ。
もし、この条件に当てはまる女性なら、エックス線検査は避けるのが得策だ。

 次に、妊娠中かその可能性がある女性は、その旨を医者に伝えておく必要がある。 妊婦に対して不必要にエックス線をかける医者や歯医者は免許を剥奪すべきであると、私は思う。 妊婦のエックス線被爆は本人だけでなく確実に胎児に影響を及ぼすからだ。 つまり最悪の場合二人の命を危険にされすことになるのだ。

 本来、健康管理は自己責任である。医療被曝を避けたいという意思表示をしているにもかかわらず、なおも医者がエックス線検査をしようとするなら、次の質問をするといい。
 「このエックス線検査の目的は何ですか?」
 「エックス線検査によって病気が発見できる可能性はどれくらいですか?」
 「もっと安全な方法で病気を発見する方法はないのですか?」
 「最小限の放射線量ですます高性能の機器を使っていますか?」
 「放射線を防ぐために患部以外はプロテクターをつけてもらえますか?」
 「エックス線検査の結果でその後の治療方針は変わるのですか?」
こうしてエックス線検査について適切な選択が出来るまで医者に質問するといい。 もしエックス線検査が必要だと決めたら、必要な枚数にとどめるように確認すべきだ。

 
医者からわが身を守るには


 医者から身を守るためには、嘘ののつき方を覚えることも大切だ。 自分の命を守るために医者に嘘をつくことは決して卑劣な行為ではない。 権威に対して誰でも必ず身につけている手段である。 しかし残念ながら、実際の診察室では嘘をついて逃げられない状況もある。 その典型が産科だ。 産科では、妊婦は医者の管理下におかれ、体重増加を制限するという処置がとられる。
 初診のさい、患者は望む処置と望まない処置を記したリストを提出する。 これによって前もって剃毛、会陰切開、無痛分娩、陣痛誘発と陣痛促進などは希望していないことが医者に伝えられる。 ところが、いざ分娩という段階になると、これらの処置が行われていることに患者は気付く。 分娩中なら患者は拒否できないことを医者は知っているのだ。

 こうしたことがあるから、状況が差し迫る前に医者と患者の力関係を逆転させ、患者は出来るだけ優位に立っておく必要がある。 医者の返事を信じず、医者の発言は些細なことでも全てメモしておくべきだ。 また、重要な情報についてはすべて目を通し、詳しい知識を身につけておく必要がある。

 医者は押し売りと同じで、あまり信用してはいけない。 医者が誰のためにものを言っているのか、考えてみるとよくわかる。
 セカンドオピニオン(主治医以外の医者の意見)を求め、違っていたら主治医にその旨を率直に伝えるべきだ。 医者の怒りを恐れてあまりする人がいないが、自分の健康がかかっているのだから、失礼と思われる質問でも遠慮せずにするべきだ。 そうすることで医者の態度も変わってくるし、何より医療に対するあなたの認識も変わってくる。
 治療について決定を求められたときには、知恵のある人を探しだして話し合うといい。 かつて医者は知性と教養に富み、思慮深い人間だったが、いまはそうではない。 相談相手としてふさわしいのは、同じ病気を患った人である。 また、友人や近所の人、家族の話にも耳を傾けるといい。
 医者は「素人判断を信じるな」というが、それは違う。 医者は自らの権威を守ろうとしているだけだ。 病気と思ったら、すぐに友人、親戚、周囲の信頼できる人たちに相談し、じっくり話すといい。 そうすれば、医者がいなくても十分に健康でいられることがわかるはずだ。


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